ほんまにそれでええんでっか?

世の中のアレコレにほんまにそれでええのか関西弁で切り込むさかい。

AIと会話する未来

AIと会話する未来がいつかくるかも。

今から4年ほど前にpepperくんが登場した時、朧げながらそう感じたのを覚えている。

それからiPhoneで日本語Siriが使えるようになったり、介護用ロボットが出てくる村田製作所のCMを見たりしながら、その未来がどんどん近付いてきているように感じて来た。

最近では、実装が難しいと言われて来た「空気を読む」機能をもったロボットも出来つつあり、この一部淡い期待にも似た感情は、今では確信に変わった。

その年数も今から二桁とかからないうちにやってくる気がしている。

会話可能なAIと一口で言ってもそのシステムや用途は多種多様だ。

親を赤ん坊に慣れやすくするための練習用赤ちゃんAIだったり、産まれた赤ん坊を育成するためのプログラムが組まれた育成AIだったり。

孤独な中年を相手にするイケメンやイケジョAI、キャバ嬢AIなんかも出たり。

パートナーや家族に先立たれた老人の孤独を埋めるAIや、認知症の進行を遅らせるような介護AIなんかも出るかも。

忖度レベルを自由に設定して遊べる政治家AIなんかも出て来ちゃったりなんかして。

これら私の妄想にあるAI達が実用されるかどうかは別にして、技術的に可能か不可能かでいえばきっと可能だろう。

そして、こうしたAIは日常的にあらゆるシーンで使われるようになり、ついにはこれら人工物と生物との境界線がなくなるような、落合陽一准教授の語るデジタルネイチャー時代がくるのは時間の問題かもしれない。

実際、たった今ツイッターやインスタなどのSNSで記事が自動生成されたり、5chでスレ立てやレスが自動で行われたとしても、きっと殆どの人が違和感なく使い続けるだろう。

つまり自らとコミュニケーションをとっている存在が生物か人工物かはあまり重要ではない。そして、これからもっとその傾向は強くなるだろう。