ほんまにそれでええんでっか?

世の中のアレコレにほんまにそれでええのか関西弁で切り込むさかい。

テレビで風俗の話をする時は病気の話も一緒にすべきちゃうか?

2カ月くらい前に家でテレビを見ていた時の話。

アメトーーク江頭2:50SP」という番組がやっていた。

 

番組の中で、江頭2:50さん(以下エガちゃん)が自分がよく行く風俗店の話をしていた。モンデミーテという巨乳好きをターゲットにした風俗らしい。

そのお店にはケンドーコバヤシ(以下ケンコバ)もよく通っているらしく、ケンコバの来店方法がカッコイイという話になった。

なにがカッコイイのか。

エガちゃんは身バレを恐れデカいマスクを付けてコソコソ入店するのに対し、ケンコバは顔も隠さず堂々と入店するらしい。さらに来店時はバイクで来るためワイルドに見えるとか。

その話を聞いていた周りの芸人達も男らしいと言っており、なぜか私の嫁もケンコバはカッコイイと言い出した。

「堂々と風俗に行くのはカッコイイ」。この感覚は同じ男としてわからなくもない。

女性を金で買うという倫理観は今の日本社会ではあまり受け入れられていない。しかし同時にお店に行くことには違法性もないわけで別に悪いことをしているわけではない。

ただ同調圧力に弱い日本人は頭ではわかっていてもこうした個人の性事情を堂々と言える人は少なく、だからこそテレビに出ているような有名人が堂々とした姿でお店を利用しているという事実を聞けてスッキリした気持ちになるのではないだろうか。

ただ、番組を見ていて1つ思ったことがある。それは、テレビは未だに日本で主要なメディアであるので性病に関する警告も同時にしておけよってこと。

なぜかというと、日本では様々な性病の感染報告数が増え続けているからだ。

(詳しくは以下厚生労働省のデータ参照)

www.mhlw.go.jp

このデータによると、淋病感染や尖圭コンジローマは年々少しずつ減少しているが、クラミジアや性器ヘルペスは増え続けている。特に、梅毒に関してはH28年あたりから爆発的に増えている。

これらの増加について考えられる理由の1つにインバウンド化がある。近年、日本の性風俗店は金を持った外国人達をターゲットにすべくホームページに中国語や英語を入れたり海外サイトで紹介したりしている。大手風俗情報サイトのぴゅあらばシティヘブンネットを見ても外国人ウェルカムのお店はかなり多い。

そりゃあ少子高齢化と不景気のダブルパンチで風俗にお金を落とす日本人の数は減っていくだろうし、お店がターゲット層を外国人に広げるのは当然だと思う。ただ、風俗店で働く女性や利用者はこれに伴って病気に対する意識を強化しないといけないと思う。

たまにお店側が定期的な性病検査を行っていると思っている人がいるみたいだが、実態はほとんどのお店が検査なんて促していない。それは一般的にお店と女の子は業務委託契約していることを考えても容易に想像できると思う。

風俗店にバイクでワイルドに現れコトを終えて颯爽と去っていくイメージを頭に描くのもいいが、イチモツを抑えながらバイクで病院に駆け込む姿も同時に思い浮かべるべきだろう。さらに、治りにくい性器ヘルペスや肝炎の治療で大変なのかもしれないという発想も持つべきだ。

それらが容易になるためには、テレビは性病のリスクや対策をもっとしっかりと伝えるべきだと思う。

 

 

AIと会話する未来

AIと会話する未来がいつかくるかも。

今から4年ほど前にpepperくんが登場した時、朧げながらそう感じたのを覚えている。

それからiPhoneで日本語Siriが使えるようになったり、介護用ロボットが出てくる村田製作所のCMを見たりしながら、その未来がどんどん近付いてきているように感じて来た。

最近では、実装が難しいと言われて来た「空気を読む」機能をもったロボットも出来つつあり、この一部淡い期待にも似た感情は、今では確信に変わった。

その年数も今から二桁とかからないうちにやってくる気がしている。

会話可能なAIと一口で言ってもそのシステムや用途は多種多様だ。

親を赤ん坊に慣れやすくするための練習用赤ちゃんAIだったり、産まれた赤ん坊を育成するためのプログラムが組まれた育成AIだったり。

孤独な中年を相手にするイケメンやイケジョAI、キャバ嬢AIなんかも出たり。

パートナーや家族に先立たれた老人の孤独を埋めるAIや、認知症の進行を遅らせるような介護AIなんかも出るかも。

忖度レベルを自由に設定して遊べる政治家AIなんかも出て来ちゃったりなんかして。

これら私の妄想にあるAI達が実用されるかどうかは別にして、技術的に可能か不可能かでいえばきっと可能だろう。

そして、こうしたAIは日常的にあらゆるシーンで使われるようになり、ついにはこれら人工物と生物との境界線がなくなるような、落合陽一准教授の語るデジタルネイチャー時代がくるのは時間の問題かもしれない。

実際、たった今ツイッターやインスタなどのSNSで記事が自動生成されたり、5chでスレ立てやレスが自動で行われたとしても、きっと殆どの人が違和感なく使い続けるだろう。

つまり自らとコミュニケーションをとっている存在が生物か人工物かはあまり重要ではない。そして、これからもっとその傾向は強くなるだろう。

 

ネイマールのマリーシアから考えるフェアプレーの重要さ

W杯もベスト8がそれぞれ出揃い、いよいよ中盤に差し掛かった。

本大会は試合85分以降での劇的ゴールが多く、これまで全試合を見てきた私としては非常に興奮できる試合内容が多かった。まずは日本代表を含め素晴らしい試合を見せてくれた各国代表にありがとうと言いたい。(だからこそ余計に日本vsポーランド戦の終盤は賭けの要素が大きかった気がする。)

さて、素晴らしい試合には当然素晴らしい選手達のプレーがある。その中でも一際異彩を放っているのがブラジル代表のネイマールだ。3カ月近くの怪我から復帰するや否や代表戦で大活躍。超絶ドリブルと左サイドからのカットイン、精度の高いパスとクロス、高いコントロールによるシュート。プレーだけで見るなら間違いなく世界最高のウインガーの1人だろう。

そしてそんなネイマールにはもう一つ得意技がある。それは優れた演技力だ。ディフェンダーのタックルが来るタイミングで大げさに吹き飛ぶ、相手を煽ってファールを誘う、ちょっと触れただけで骨が折れたかのように全力で痛がる。これらの演技は見ていて気持ちの良いものではないかもしれない。実際に批判的な見方をするメディアも少なくない。

www.nikkansports.com

しかし、勝負に勝つこと結果を残すことこそが大事なんだと言う人にとっては非常に合理的な戦略だとも言える。日本vsポーランドで必死に日本代表を擁護していた人達はもちろんこれも立派な戦略だと答えるだろう。

マリーシア - Wikipedia

文化が違えばサッカーへの取り組み方や代表チームが抱えてるモノもまるで違う。コロンビアのように選手が1つの失敗で命を落とす危険性がある国だってある。いくら周りがネイマールを叩いても当人からすれば『ワイにはワイのやり方がある悔しかったらルール変更するやで』と言われても仕方がないのかもしれない。

ただ、ここで重要なのは、各々がじゃあ自分達はどんな姿勢で試合に挑みたいのかと自問自答することだと思う。また、それは同時に、見ている側もどういった選手の姿勢が見たいか考えるということである。少なくとも自分は、ある時は戦略、ある時はラフプレーと筋の通らない発言をしているコメンテーターの様にはなりたくない。

 

ポーランド戦で日本が叩かれる理由

昨日のポーランド戦、日本は0-1でポーランドに負けたがフェアプレーポイントによりグループリーグ突破が決定した。

※フェアプレーポイントについては以下参照

www.huffingtonpost.jp

わずか2カ月前に監督解任騒動があってグループリーグ突破の可能性はゼロに近いと言われていた日本だったが、良い意味で皆の期待を裏切って見事ノックアウトステージ進出を決めた。

しかし、試合後の皆の反応は何やら微妙だ。その原因は試合終盤における日本のプレー姿勢にある。ロスタイムを入れて残り時間10分ほどになった頃、日本はFWの武藤を下げてMFの長谷部を投入した。明らかに攻めを緩めて現状維持するという采配であり、そこからは前線にボールを送らず試合終了までひたすら自陣内でボールを回し続けた。

 

なぜそんなことをしたか?

あの状況で日本はポーランドに負けてはいたが、その裏で同リーグ2位のセネガルも 0-1でコロンビアに負けており、あのまま両試合ともに動きがなければフェアプレーポイントで日本がグループリーグ突破することが考えられた。かといって仮にセネガルが1点入れて同点にしたら日本は敗退する可能性もあった。攻めて自ら突破を掴みに行くか、裏カードの結果に託すか、西野ジャパンは大きな選択を迫られた末に後者を選んだ。その選択が海外メディアだけでなく一部日本人サポーターからも消極的で他力本願だと批判されているのだ。

www3.nhk.or.jp

 

もし失点のリスクを取って攻めていたら?

ではあの状況で西野ジャパンが攻めていたらどうなっていただろう。運が良ければドローに出来て自分達の力でグループリーグ突破。世界からは確実に賞賛されていただろう。しかし現実的にはスタートから主力陣を下げてドローに持ち込むようなメンバー構成だったので点を決めれる可能性はかなり低かったと思う。

運が悪ければポーランドに追加点を決められて敗退となっていた。仮に敗退していた場合はドロー狙いの采配が叩かれていただろうし、賞賛はされなかっただろう。ポーランドには終始セットプレーとカウンターで何度か窮地に追い込まれていたので、攻めに行き過ぎると最悪失点に繋がるかもという恐怖はあった。ただ、残り時間10分ほどで1点リードしているポーランドが積極的に攻めてくることは考えにくかった。実際、日本がボール回しを始めてもポーランドはプレッシャーをかけてこなかった。

というわけで一番可能性として高かったのは日本が中途半端に攻めてそのまま0-1で試合終了というパターンだろう。こうなれば西野ジャパンは「ドローに持ち込もうとして失敗したが結果的に突破」となり、この試合はパッとしなかったが過去2試合の戦績を考慮して今より確実に賞賛されていただろう。

 

勝負は結果が全て?

西野監督は自ら突破を掴みに行って失点・敗退するというリスクを確実に消し、セネガルが1点決めきれないことに賭けるという他力本願の博打に出た。ラスト15分間のセネガルの攻めを見て個人的に感じたのは、当たり前だが必死に攻めていたし同点に追いつく可能性は全然あった。仮にセネガルが同点に追いついて日本が敗退していたら日本代表及び監督の名誉は地に落ちただろう。そうした高いリスクがある中で、結果として西野監督は博打に勝った。何はともあれグループリーグ突破という結果を出したことは凄いことである。日本が16強に入ることで日本代表は貴重な経験を積めるし、国内の経済効果も見込めるわけで、この結果は日本にとって確実にプラスだ。

ただ、SNSでたまに「冷静に確率の高い方に賭けた西野監督の英断」というようなコメントを見るけどそれは流石に違うんじゃないかと思う。ラスト15分間のセネガルはたまにカウンターを食らいながらも必死に攻めていた。あの時点でセネガルが同点にできない確率と日本が攻め切れない&失点してしまう確率を冷静にはじき出すことなんて誰にも出来なかったはずだ。どう見てもあれは博打であり、土壇場になって自分達の手で変化を作ることを恐れたある意味日本人らしい結果だと私は考える。

 

プロサッカーの意義やワールドカップの意義って何?

ようやく結論になるが、各国で日本の試合内容を叩く意見が多いのは、サッカーに対する情熱やW杯に対する見方に温度差があるからだと思う。まずサッカーはエンターテイメントであり、観戦者が面白いと感じられる試合をすることが基本。最終戦での大きなブーイングが物語るように、勝つ気がない試合を見せられたらそれは凄くつまらない。結果は確かに物凄く大事だけど、まずファンがいてのスポーツだと思う。更に試合をつまらなくさせた理由としてフィールドでプレイしている自分達の力を信じるのではなく他の第三者に望みを託した点。個人主義が強い欧米人にとっては酷く臆病な行為に映っても仕方がないと思う。

そもそもワールドカップに出て戦う意義は何なのか。我々日本はこういったチームですよと世界に主張する場ではないのか。そうした場で、突破できるかどうかわからない状況でビビって立ち上がれない。お前らプライドはないのかよ、そう思う人間が世界には多いということだろうし、私個人としては彼らと同じ意見だ。

 

www.youtube.com

 

 

タバコの受動喫煙を叩く人達はなぜもっと線香やお香を叩かないのか

受動喫煙による被害について色々とエビデンスが揃ってきたところで早く何とかしろという声がだんだん高まっているようです。そんな中、加熱式タバコのアイコスを利用しても非喫煙者への受動喫煙被害はほぼないという臨床試験結果をフィリップモリスが今年発表しました。

www.itmedia.co.jp

 

しかしながら、今回のデータだけでは受動喫煙被害が本当にないというのを証明するのは難しく、まだまだこれから数々のデータを蓄積していく必要があるようです。これは安全性を考えれば当然のことだと思うし、後から想像を超える被害があると発見されたのがタバコなわけで、同じ過ちは繰り返してはならないと感じます。

 

ところで、私には受動喫煙の危険性について訴える人達を見ていて1つ不思議に思うことがあります。それは、なぜ彼らは日本人に馴染み深い線香やお香の使用についてはあまり騒がないのかということです。なぜなら、線香は発がん性物質であるベンゼンの濃度だけで見るとタバコよりも高いからです。

線香やお香のベンゼン濃度について:

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11121000-Iyakushokuhinkyoku-Soumuka/0000047002.pdf

タバコ(喫煙室)のベンゼン濃度について:

https://www.jstage.jst.go.jp/article/siej/14/1/14_43/_article/-char/ja/

 

線香やお香はわりと身近な存在です。お寺に行けば線香やお香の匂いがするし、頭に煙をかけて偉くなるとか体の悪い部分に煙をかけて治すとかいうめちゃくちゃな風習があります。葬式やお通夜に行くと線香がガンガン焚かれているし、線香の火を絶やしてはならないとかいうこれまた謎の風習があります。私は祖父が亡くなった時にこの線香の番人に抜擢され不思議に思いながらもただただ朝まで耐えました。さらに、2016年のあるデータによると日本では約4割の世帯が仏壇を保有しているみたいです。私の祖母は未だにほぼ毎朝仏壇の水を代えるついでに線香を炊いているようで、祖母の家はいつ行っても線香の匂いがします。こういう家は減ったと思いますがいまだに一定数はいると思います。

www.sankei.com

 

と、こう考えると自分の意志とは関係なく線香やお香の煙に身を晒す機会は結構多いんじゃないかと思います。じゃあなんで受動喫煙問題として同じくらい騒がれないんでしょうか?触らぬ神に祟りなしということなんでしょうかね?

 

 

藤井聡太くんの人気で将棋人口は増えるのか

〇なんか藤井聡太くんの人気がすごい

近年ディープラーニングの飛躍的発達で数々のプロ達がAIにフルボッコされ、三浦九段のカンニング疑惑騒動もあって完全に日陰に追いやられていた将棋連盟を照らす唯一の光、それが彼である。スポンサーである各新聞社としても売上が下がり続けている現状を挽回(悪あがき)できそうな数少ない逸材であり大々的に取り扱っているのが見て取れる。史上最年少でプロ棋士になり史上最年少で7段に昇格。若干15歳でありながらベテラン棋士達が揃って唸るほど落ち着いた手を指す。私は将棋ウォーズで2段程の実力しかないので正直なところ雲の上の存在すぎて彼の棋譜を見てもその凄さがイマイチよくわからない。しかし講談社から出版されている「人間の未来 AIの未来」でプロ棋士羽生善治が彼の凄さについて語っている部分を読むと「あーなるほど」と感じさせられる。内容を要約すると大抵の棋士はプロになっても様々な戦型に慣れ親しむ時間が結構必要だけど彼の場合はセンスがずば抜けているので対応できていること。それからめちゃくちゃ若いのに攻守のバランス感覚が凄まじく細かいミスをしないということなどがある。傍から見るとイヤイヤあんたも十分そんな感じやで!と突っ込みたくなるが、あの羽生先生のお墨付きなのだから相当凄いと感じざるを得ない。

 

〇じゃあ藤井聡太ブームによって将棋人口は増えるのか?

結論から言うとNOだ。藤井くんは確かにすごいが、それとこれとは別問題な気がする。将棋人口が増えるかどうかは将棋自体が持つ魅力と将棋が社会にもたらす影響に依ると思う。というわけで将棋自体の魅力と社会への影響について少し考えてみる。まず将棋の魅力について書くと、精神力や決断力を鍛えられるということが魅力としては大きいんじゃないかなと思う。将棋は1vs1のガチバトルで誰の助け舟もなく自分の頭だけで競う競技だ。運の要素もほぼ無いことから負ければ必然的に自分自身の弱さを噛み締めなくてはならない。まさに自分との戦いなわけで精神力や決断力を鍛えるに適した競技だと思う。

しかし同時に魅力に欠ける部分も多い。まず将棋に関する知識は将棋以外には使えない。例えばスポーツなら肉体やバランス感覚が鍛えられるし他のスポーツにも応用できる。基礎体力の増加という面で考えればありとあらゆる生活面で良い影響がある。それに異性からの人気も得やすい。他のマイナス点としては、将棋は棋力を上げるまたは維持するためには詰将棋を解くなどの努力をほぼ毎日継続する必要がある。棋力が高い人ほど数日指さないだけで手が見えなくなる。子供のうちは時間があるし棋力も伸びやすいからそれでも熱中できるが、社会人として仕事をする頃になると毎日指すのが億劫になる。しかも個人差はあれど25歳くらいで棋力のピークがやって来るからそれ以降は棋力維持のために更に時間が必要になる。重要なのは棋力の向上に時間が必要になるんじゃなくて棋力の維持に時間が必要になる点。やればやるほど自分はこれ以上強くなれるわけでもないのに一体何をしてるんだろうという気持ちになってくる。

そんなわけで将棋人口の大半は時間にゆとりのある10代の若者と70代以降の老人に集中している。社会に良い影響かどうかはわからないが、将棋は孫を持つ老人達が相手をしてもらうための良いきっかけにはなると思う。実際、私も祖父から将棋を教えてもらった。まあ2カ月くらいで私の方が強くなりすぎて相手にならなくなり、しばらく忖度将棋を繰り返すうちに将棋自体をやめてしまったのだが。ある日いつものように『将棋するか?』と笑顔で聞いてくるおじいちゃんに向かって『おじいちゃん弱いから嫌や、おもんないもん。』と一蹴したことはいまだに深く後悔している。おじいちゃんごめん...。話が脱線したがこんな思い出を語る人間も少子化と単身世帯が増えるに連れて減っていくのかもしれない。

他に将棋が社会にもたらす良い影響について考えてみると、それは今すぐ何かあるという話ではなく将来的に徐々に出てくる可能性はあるかなと思う。仮に、今後さらなる技術の発達によってそれほど働かなくても衣食住が安定して供給されるような時代が来るとしよう。そういう時代においては労働の価値はかなり低くなり、生産性や耐久性よりも人としてのユニークさに価値の指標が移る可能性は高いと思う。そうなれば俗にいう尖った人間の方が社会にとって価値があるとされるだろうし、将棋マニアにも他の生き方が出てくるのかもしれない(適当)